野ざらし紀行

『野ざらし紀行』(のざらしきこう)は、江戸時代中期の俳諧師松尾芭蕉の紀行文。貞享元年(1684年)秋の8月から翌年4月にかけて、芭蕉が門人の千里とともに出身地でもある伊賀上野への旅を記した俳諧紀行文。(Wikipedia)

 

千里に旅立ちて、路粮(みつかて)をつゝまず、三更月下(さんこうげっか)無何(むか)に入ると云けむ、むかしの人の杖にすがりて、貞享(ていきょう)甲子(きのえね)秋八月江上の破屋を出づる程、風の声そゞろ寒げ也。 

 野ざらしを心に風のしむ身哉 のざらしを こころにかぜの しむみかな

 秋十とせ却て江戸を指古郷 あきととせ かえってえどを さすこきょう

 関越ゆる日は、雨降りて、山皆雲にかくれけり。 

 霧しぐれ富士を見ぬ日ぞ面白き きりしぐれ ふじをみぬひぞ おもしろき

 何某千里(ちり)と云けるは、此たび路のたすけとなりて、萬いたはり心を尽し侍る。常に莫逆(ばくげき)の交(まじはり)ふかく、朋友信有哉此人。 

 深川や芭蕉を富士に預け行く  千里

 富士川のほとりを行くに、三つばかりなる捨子の、哀げに泣く有り。此の川の早瀬にかけて浮世の波をしのぐにたへず、露ばかりの命まつ間と、捨て置きけむ、小萩がもとの秋の風、こよひや散るらん、あすやしほれんと、袂(たもと)より喰物なげて通るに、

 猿を聞く人捨子に秋の風いかに さるをきくひと すてごにあきの かぜいかに

 

 いかにぞや、汝父に悪(にく)まれたるか、母に疎(うと)まれたるか。父は汝を悪むにあらじ、母は汝を疎むにあらじ。唯これ天にして、汝が性(さが)の拙なきを泣け。 大井川越ゆる日は、終日雨降りければ、 

秋の日の雨江戸に指おらん大井川  千里

    馬上吟

 道のべの木槿は馬にくはれけり みちのべの むくげわうまに くわれけり

 

 二十日余りの月のかすかに見えて、山の根ぎはいと闇きに、馬上に鞭(むち)を垂れて、数里いまだ鶏鳴(けいめい)ならず。杜牧(とぼく)が早行の残夢、小夜の中山に到りて忽(たちまち)驚く。 

 馬に寝て残夢月遠し茶のけぶり うまにねて ざんむつきとおし ちゃのけぶり

 

 松葉屋風瀑(ふうばく)が伊勢に有りけるを尋ね音信(おとず)れて、十日ばかり足を留む。 腰間に寸鉄をおびず、襟(えり)に一嚢(いちのう)を懸けて、手に十八の珠を携ふ。僧に似て塵(ちり)あり。俗に似て髪なし。我僧にあらずといへども、浮屠(ふと)の属にたぐへて、神前に入る事をゆるさず。 暮れて外宮に詣で侍りけるに、一の鳥居の陰ほのぐらく、御燈(みあかし)処々に見えて、また上もなき峰の松風、身にしむばかり、深き心を起して、

 みそか月なし千とせの杉を抱くあらし みそかづきなし ちとせのすぎを だくあらし

 西行谷の麓に流れあり。女どもの芋洗ふを見るに、

 芋洗ふ女西行ならば歌よまむ いもあらうおんな さいぎょうならば うたよまん

 其の日のかへさ、ある茶店に立寄りけるに、てふといひける女、あが名に発句せよと云ひて、白き絹出しけるに書付け侍る。 蘭(らん)の香やてふの翅(つばさ)にたき物す 閑人の茅舍(ぼうしゃ)をとひて

 蔦植て竹四五本のあらし哉 つたうえて たけしごほんの あらしかな

 長月の初め、故郷に帰りて、北堂の萱草も霜枯れ果てて、今は跡だになし。何事も昔にかはりて、はらからの鬢(びん)白く、眉(まゆ)皺よりて、たゞ命有りてとのみ揖日云ひて言葉はなきに、このかみの守袋をほどきて、母の白髮(しらが)をがめよ、浦島の子が玉手箱、汝が眉もやゝ老いたりと、しばらく泣きて、

 手にとらば消えん涙ぞあつき秋の霜 てにとらばきえん なみだぞあつき あきのしも

 大和の国に行脚して、葛下の郡竹の内と云ふ所にいたる。彼の千里が旧里(ふるさと)なれば、日ごろとゞまりて足を休む。

 わた弓や琵琶になぐさむ竹のおく わたゆみや びわになぐさむ たけのおく

 二上山当麻寺に詣でて、庭上の松を見るに、凡(およ)そ千歳もへたるならん。大いさ牛をかくす共いふべけん。かれ非情といへども、仏縁にひかれて、斧斤(ふきん)の罪を免がれたるぞ、幸にしてたつとし。

 僧朝顔幾死にかへる法の松 そうあさがお いくしにかえる のりのまつ

 独り吉野の奥にたどりけるに、まことに山深く白雲峯に重なり、煙雨谷を埋(うづ)んで、山賤(やまがつ)の家所々にちひさく、西に木を伐る音東に響き、院々の鐘の声心の底にこたふ。昔より此の山に入りて世を忘れたる人の、多くは詩にのがれ、歌にかくる。いでや唐土(もろこし)の廬山といはんもまたむべならずや。 ある坊に一夜をかりて

 砧打つて我に聞せよや坊が妻 きぬたうって われにきかせよ ぼうがつま

 西上人の草の庵の跡は、奥の院より右の方二町ばかり分け入るほど、柴人(しばびと)の通ふ道のみわづかに有りて、さがしき谷を隔てたる、いとたふとし。かのとく/?の清水は昔にかはらずとみえて、今もとく/?と雫落ちける。

 露とく/?心みに浮世すゝがばや つゆとくとく こころみにうきよ すすがばや

 若しこれ扶桑に伯夷(はくい)あらば、必ず口をすすがん。もしこれ許由に告げば、耳を洗はん。 山を登り坂を下るに、秋の日既に斜になれば、名ある所々見残して、まづ後醍醐帝の御廟を拝む。

 御廟年経て忍は何をしのぶ草 ごびょうとしへて しのぶわなにを しのぶぐさ

 大和より山城を経て、近江路に入て美濃に至る。今須・山中を過ぎて、いにしへ常盤の塚有り。伊勢の守武がいひける、義朝殿に似たる秋風とは、いづれの処か似たりけん。我も又、

 義朝の心に似たりあきの風 よしともの こころににたり あきのかぜ

  不破

 秋風や藪も畠も不破の関 あきかぜや やぶもはたけも ふわのせき

 大垣にとまりける夜は、木因が家をあるじとす。武蔵野を出でし時、野ざらしを心に思ひて旅立ちければ、

 死にもせぬ旅寝の果よ秋の暮 しにもせぬ たびねのはてよ あきのくれ

   桑名本当寺にて

 冬牡丹千鳥よ雪のほとゝぎす ふゆぼたん ちどりよゆきの ほととぎす

 草の枕に寝あきて、まだほの暗きうちに浜のかたへ出でて、

 明ぼのやしら魚しろきこと一寸 あけぼのや しらうおしろき こといっすん

  熱田に詣づ 社頭大いに破れ、築地は倒れて草むらにかくる。かしこに縄を張りて小社の跡をしるし、ここに石を据えて其の神と名のる。よもぎ・しのぶ、こころのまゝに生えたるぞ、なか/?にめでたきよりも心とまりける。

 しのぶさへ枯れて餅かふやどり哉 しのぶさえ かれてもちかう やどりかな

   名護屋に入る道のほど諷吟す。

 狂句木枯の身は竹斎に似たる哉 きょうくこがらしの みわちくさいに にたるかな

 草枕犬も時雨るゝかよるのこえ くさまくら いぬもしぐるるか よるのこえ

   雪見にありきて

 市人よこの笠うらう雪の傘 いちびとよ このかさうろう ゆきのかさ

   旅人を見る

 馬をさへながむる雪の朝哉 うまをさえ ながむるゆきの あしたかな

   海辺に日暮して

 海くれて鴨のこえほのかに白し うみくれて かものこえ ほのかにしろし

 爰(ここ)に草鞋(わらじ)をとき、かしこに杖を捨てて、旅寝ながらに年の暮ければ、

 年暮ぬ笠きて草鞋はきながら としくれぬ かさきてわらじ はきながら

   といひ/?も山家に年を越して、

 誰が聟ぞ歯朶に餅おふうしの年 たがむこぞ しだにもちおう うしのとし

   奈良に出づる道のほど

 春なれや名もなき山の朝霞 はるなれや なもなきやまの あさがすみ

   二月堂に籠りて

 水とりや氷の僧の沓の音 みずとりや こおりのそうの くつのおと

 京にのぼりて、三井秋風が鳴滝の山家をとふ。

   梅林

 梅白し昨日や鶴を盗まれし うめしろし きのうやつるを ぬすまれし

 樫の木の花にかまはぬすがたかな かしのきの はなにかまわぬ すがたかな

   伏見西岸寺任口上人に逢うて

 我がきぬにふしみの桃の雫せよ わがきぬに ふしみのももの しずくせよ

   大津に出づる道、山路を越えて

 山路来て何やらゆかしすみれ草 やまじきて なにやらゆかし すみれぐさ

   湖水の眺望

 辛崎の松は花より朧にて からさきの まつわはなより おぼろにて

   水口にて二十年を経て、古人に逢ふ

 命二つの中に生きたる桜哉 いのちふたつの なかにいきたる さくらかな

 伊豆の国蛭(ひる)が小島の桑門、これも去年(こぞ)の秋より行脚しけるに我が名を聞きて草の枕の道づれにもと、尾張の国まで跡をしたひ来たりければ、

 いざともに穂麦喰らはん草枕 いざともに ほむぎくらわん くさまくら

 此の僧我に告げていはく、円覚寺大顛和尚今年睦月の初め、遷化(せんげ)し給ふよし。まことや夢の心地せらるゝに、まづ道より其角が許へ申し遣しける。

 梅こひて卯花拝むなみだ哉 うめこいて うのはなおがむ なみだかな

   杜国におくる

 白げしに羽もぐ蝶の形見哉 しろげしに はねもぐちょうの かたみかな

 二たび桐葉子(とうようし)がもとに有りて、今や東に下らんとするに、

 牡丹蘂ふかく分け出る蜂の名残哉 ぼたんしべふかく わけでるはちの なごりかな

  甲斐の山中に立ちよりて、

 行く駒の麦に慰むやどり哉 ゆくこまの むぐになぐさむ やどりかな

  卯月の末、庵に帰りて旅のつかれをはらすほどに、

 夏衣いまだ虱をとりつくさず なつごろも いまだしらみを とりつくさず