更科紀行
作成者:Web Master 作成日:火, 06/28/2016 - 09:18
江戸中期の俳諧紀行文。1冊。松尾芭蕉作。元禄元?2年(1688?89)成立。同元年8月、門人の越智越人(おちえつじん)を伴い、名古屋から木曽路を通り、更科姨捨山(おばすてやま)の月見をして江戸に帰ったときの旅行記。(デジタル大辞泉)
さらしなの里、姨捨(おばすて)山の月見んこと、しきりにすゝむる秋風の心に吹さわぎて、ともに風雲の情を狂すもの又ひとり、越人と云。木曾路は山深く道さがしく、旅寐の力も心もとなしと、荷兮子(かけいし)が奴僕(ぬぼく)をして送らす。おのおの心ざし尽すといへども、駅旅の事心得ぬさまにて、ともにおぼつかなく、ものごとのしどろにあとさきなるも、なかなかにおかしき事のみ多し。 何々と云ふ所にて、六十(むそ)ばかりの道心の僧、おもしろげもおかしげもあらず、ただむつむつとしたるが、腰たわむまで物おひ、息はせはしく、足はきざむやうにあゆみ来れるを、ともなひける人のあはれがりて、おのおの肩にかけたるもの共(ども)、かの僧のおひね物とひとつにからみて、馬に付けて、我をそ上にのす。高山奇峰頭(かしら)の上におほひ重なりて、左は大河ながれ、岸下の千尋(せんじん)のおもひをなし、尺地(せきち)も平らかならざれば、鞍の上しづかならず。只あやうき煩(わずら)ひのみやむ時なし。桟(かけ)はし、寝覚(ねざめ)など過て、猿が馬場・たち峠などは四十八曲がりとかや、九折重なりて、雲路にたどる心地せらる。歩行(かち)より行くものさへ、眼くるめき、たましひしぼみて、足さだまらざりけるに、かのつれたる奴僕、いともおそるゝけしき見えず、馬の上にてたゞねぶりに眠りて、落ぬべき事あまたたびなりけるを、あとより見あげて危き事かぎりなし。仏の御心に衆生のうき世を見給ふもかゝる事にやと、無常迅速のいそがはしきも、我身にかへり見られて、阿波(あは)の鳴戸は波風もなかりけり。 夜は草の枕を求めて、昼のうち思ひまうけたるけしき、むすび捨たる発句など、矢立取出(いで)て、灯(ともしび)のもとに目をとぢ、頭をたゝきてうめきふせば、かの道心の坊、旅懐の心うくて物思ひするにやと推量し、我を慰んとす。わかき時拝みめぐりたる地、あみだの尊き数を尽し、おのがあやしと思ひし事ども、噺(はなし)つゞくるぞ、風情のさはりとなりて、何を云出(いひいず)ることもせず。とてもまぎれたる月影の、壁の破れより木の間がくれにさし入て、引板(ひた)の音、鹿おふ声、処/?に聞えける。まことにかなしき秋の心、ここに尽せり。「いでや月のあるじに酒ふるまはん」といへば、さかずき持出たり。よのつねにひとめぐりも大きに見えて、ふつゝかなる蒔絵をしたり。都の人は斯るものは風情なしとて、手にもふれざりけるに、思ひもかけぬ興に入て、青宛玉巵(せいわんぎょくし)の心地せらるゝも処がらなり。
あの中に蒔絵書たし宿の月
桟やいのちをからむつたかづら
桟やまづおもひいづ駒むかへ
霧晴れて桟はめもふさがれず 越人
姨捨山
俤や姨ひとり泣月の友
いざよひもまだ更科の郡かな
更科や三よさの月見雲もなし 越人
ひよろ/?と猶露けしやをみなへし
身にしみて大根からし秋の風
木曾の橡うき世の人の土産かな
送られつ別れつ果は木曾の秋