嵯峨日記

松尾芭蕉の日記。1巻。宝暦3年(1753)刊。元禄4年(1691)4月18日から5月4日まで京都嵯峨の去来の落柿舎(らくししゃ)に滞在した間の句文を収録。(デジタル大辞泉)

元祿四辛未(しんび)卯月十八日、嵯峨にあそびて去來ガ落柿舍(らくししゃ)に到。凡兆(ぼんちょう)共ニ來りて、暮に及て京ニ歸る。予は猶暫(なほしばらく)とゝむべき由にて、障子つづくり、葎引(むぐらひき)かなぐり、舍中の片隅一間(ひとま)なる處伏處(ふしど)ト定ム。机一、硯、文庫、白氏集・本朝一人一首・世繼(よつぎ)物語・源氏物語・土佐日記・松葉集を置、并(ならびに)唐の蒔繪(まきえ)書たる五重の器にさまざまの菓子ヲ盛、名酒一壺(いっこ)盃を添たり。夜るの衾(ふすま)、調菜(ちょうさい)の物共、京より持來りて乏しからず。我貧賤をわすれて?閑ニ樂。 十九日 午半(うまなかば)、臨川寺ニ詣(けいす)。大井川前に流て、嵐山右ニ高く、松の尾里につづけり。虚空藏(こきうぞう)に詣(もうづ)ル人往(ゆき)かひ多し。松尾の竹の中に小督屋敷(こがうやしき)と云有。都(すべ)て上下(かみしも)の嵯峨ニ三所有、いづれか慥(たしか)ならむ。彼(かの)仲国ガ駒をとめたる處とて、駒留の橋と去、此あたりに侍れは暫(しばらく)是によるべきにや。墓ハ三間屋の隣、藪の内にあり。しるしニ櫻を植たり。かしこくも錦繍綾羅(きんしょうりょうら)の上に起臥(おきふし)して、終(つひに)藪中(そうちゅう)の塵あくたとなれり。昭君村の柳、普女廟(ふじょびょう)の花の昔もおもひやらる。

 うきふしや竹の子となる人の果 うきふしや たけのことなる ひとのはて

 嵐山藪の茂りや風の筋 あらしやま やぶのしげりや かぜのすじ

斜日に及て落舍ニ歸ル。凡兆京より來。去來京ニ歸る。宵より伏。

甘日 北嵯峨の祭見むと、羽紅尼來ル。

 去來京より來ル。途中の吟とて語る。

 つかみあふ子共の長や麦畠 つかみあう こどものたけや むぎばたけ

 落柿舍は昔のあるじの作れるまゝにして、處々頽破ス。中/?に作みがかれたる昔のさまより、今のあはれなるさまこそ心とどまれ。彫(ほりもの)せし梁(うつばり)、畫(えがけ)ル壁も風に破れ、雨にぬれて、竒石怪松も葎(むぐら)の下にかくれたるニ、竹?の前に袖(ゆず)の木一(ひと)もと花芳(かんば)しけれは、

 袖の花や昔しのばん料理の間 ゆずのはなや むかししのばん りょうりのま

 ほとゝきす大竹藪をもる月夜 ほととぎす おおたけやぶを もるつきよ

 尼羽紅

 又やこん覆盆子あからめさかの山 またやこん いちごあからめ さかのやま

 去來兄の室より、菓子・調菜の物なと送らる。

 今宵は羽紅夫婦をとどめて、蚊屋(かや)一はりに上下(かみしも)五人舉(こぞ)リ伏たれば、夜もいねがたうて、夜半過よりをの/?起出て、昼の菓子・盃なと取出て、曉ちかきまてはなし明ス。去年(こぞ)の夏、凡兆が宅に伏したるに、二疊の蚊屋に四國の人伏たり。「おもふ事よつにして夢もまた四種(くさ)」と書捨たる事共など、云出してわらひぬ。明れは羽紅・凡兆京に歸る。去來猶とどまる。

廿一日 昨夜いねさりければ、心むつかしく、空のけしきもきのふに似ズ。朝より打曇り、雨折/?音信(おとづる)れば、終日(ひねもす)ねぶり伏たり。暮ニ及て去來京ニ歸る。今宵は人もなく、昼伏たれば、夜も寢られぬまゝに、幻住庵にて書捨たる反古(ほご)を尋出して清書。

廿二日 朝の間雨降。けふは人もなく、さひしきまゝにむだ書してあそぶ。其ことば、 「喪(も)に居る者は悲をあるじとし、酒を飮ものは樂(たのしみ)あるじとす。」「さびしさなくばうからまし」と西上人のよみ侍るは、さびしさをあるじなるべし。又よめる

 山里にこは又誰をよふこ鳥 やまざとに こわまただれを よぶこどり

  獨住むほどおもしろきはなし ひとりすむほど おもしろきわなし

長嘯隱士(ちょうしゅういんし)の曰、「客は半日の閑を得れば、あるじは半日の閑をうしなふ」と素堂此言葉を常にあはれぶ。予も又

 うき我をさひしからせよかんこどり うきわれを さびしがらせよ かんこどり

 とは、ある寺に獨居て云し句なり。

 暮方去來より消息ス。

 乙州ガ武江より歸り侍るとて、旧友・門人の消息共あまた届。其内曲水状ニ、予ガ住捨し芭蕉庵の旧き跡尋て、宗波に逢由(あうよし)。

 昔誰小鍋洗しすみれ艸 むかしたれ こなべあらいし すみれぐさ

 又いふ、

 「我か住(すむ)所、弓杖(ゆんづえ)二長(ふたけた)計(ばかり)にして楓(かえで)一本(ひともと)より外は?き色を見ず」  と書て、

 若楓茶色になるも一盛 わかかえで ちゃいろになるも ひとさかり

   嵐雪か文ニ

 狗脊の塵にえらるゝ蕨哉 ぜんまいの ちりにえらるる わらびかな

 出替りや稚ごゝろに物哀 てをうてば こだまにあくる なつのつき

 竹(の子)や稚時の繪のすさみ たけのこや おさなきときの えのすさみ

 一日/?麥あからみて啼雲雀 ひとひひとひ むぎあからみて なくひばり

 能なしの寢たし我をきやう/?し のうなしの ねむたしわれを ぎょうぎょうし

 

   題落柿舍         凡兆

 豆植る畑も木部屋も名所哉 まめううる はたもきべやも めいしょかな

 暮に及て去來京より來ル。

 膳所(ぜぜ)昌房ヨリ消息。

 大津尚白ヨリ消息有。

 兆京來ル。堅田本福寺訪テ其(夜)泊。

 兆京に歸ル。

廿五日

 千那大津ニ歸。

 史邦・丈草被訪。

 題落柿舍          丈艸

 深對峨峯伴鳥魚

 就荒喜似野人居

 枝頭今欠赤きゅう卵

 ?葉分頭堪學書

  尋小督墳 同

 強攪怨情出深宮

 一輪秋月野村風

 昔年僅得求琴韻

 何處孤墳竹樹中

 芽出しより二葉に茂る柿の實(さね) めだしより ふたばにしげる かきのさね   史邦

  途中吟

 杜宇啼や榎(えのき)も梅瓔 ほととぎす なくやえのきも うめさくら  丈艸

 

  黄山谷之感句

 杜門句陳無已 對客揮毫奏少游

乙州來りて武江の咄(はなし)。并(ならびに)燭五分俳諧一卷、其内ニ、

 半俗の膏藥入は懷に はんぞくの こうやくいれわ ふところに

  臼井の峠馬そかしこき うすいのとうげ うまぞかしこき    其角

 

  腰の簣(あじか)に狂はする月

 野分より流人に渡ス小屋一 のわきより るにんにわたす こやひとつ   同

 宇津の山女に夜着を借て寢る うつのやま おんなによぎを かりてねる

 僞せめてゆるす精進 いつわりせめて ゆるすしょうじん

 

申ノ時計(ばかり)ヨリ風雨雷霆(てい)、雹(ひょう)降ル。雹ノ大イサ三分匆有。

龍(たつ)空を過る時雹(ひょう)降。

  大ナル、カラモヽノゴトク少キハ柴栗ノゴトシ。

廿六日

 芽出しより二葉に茂る柿の實(さね) めだしより ふたばにしげる かきのさね   史邦

 畠の塵にかゝる卯の花 はたけのちりに かかるうのはな     蕉

 蝸牛頼母しけなき角振て かたつむり たのもしげねき つのふりて    去

 人の汲間を釣瓶待也 ひとのくむまを つるべまつなり      丈

 有明に三度飛脚の行哉らん ありあけに さんどひきゃくの ゆくやらん   乙

廿七日

 人不來、終日得閑。

廿八日

 夢に杜國か事をいひ出して、涕泣して覺ム。

 心神相交時は夢をなす。陰盡(いんつき)テ火を夢見、陽衰(ようおとろへ)テ水を夢ミル。飛鳥髮をふくむ時は飛るを夢見、帶を敷寢(しとね)にする時は蛇(へび)を夢見るといへり。睡枕記・槐安國・莊周夢蝶、皆其理有テ妙をつくさず。我夢は聖人君子の夢にあらず。終日忘想散乱の氣、夜陰夢又しかり。誠に此のものを夢見ること、謂所念夢也。我に志深く伊陽旧里(ふるさと)迄したひ來りて、夜は床を同しう起臥(おきふし)、行脚の勞をともにたすけて、百日が程かげのごとくにともなふ。ある時は悲しび、その志我心裏に染みて、忘るる事なければなるべし。覺(さめ)て又袂をしぼる。

廿九日 一人一首奧州高舘ノ詩ヲ見ル。

晦日  高舘聳天星似胄、衣川通海月如弓。其地風景聊以不叶。古人とイへ共、不至其地時は不叶其景。

 江州平田明昌寺李田被問。  尚白・千那消息有。

竹ノ子や喰殘されし後の露 たけのこや くいのこされし あとのつゆ   李由

 頃日の肌着身に付卯月哉 このごろの はだぎみにつく うずきかな    尚白

   遣 岐

 またれつる五月もちかし聟粽 またれつる さつきもちかし むこちまき   同

 

二日

 曾良來リテよし野ゝ花を尋て、熊野に詣侍るよし。

 武江旧友・門人のはなし、彼是取ませて談ズ。

 くまの路や分つゝ入ば夏の海 くまのじや わけつついれば なつのうみ  曾良

 大峯やよしの(の)奧を花の果 おおみねや よしののおくを はなのはて

 

 夕日にかゝりて。大井川に舟をうかべて、嵐山にそふて戸難瀬をのぼる。雨降り出て、暮ニ及て歸る。

一 三日

 昨夜の雨降つゝきて、終日夜やます。猶其武江の事とも問語。既に夜明。

一 四日

 宵に寢ざりける草臥(くたびれ)に終日臥。昼より雨降止ム。  明日は落柿舍を出んと名殘をしかりければ、奧・口の一間/?を見廻りて、

 五月雨や色帋へぎたる壁の跡 さみだれや しきしへぎたる かべのあと