1.切れ字「や」
切れ字「や」を使った芭蕉の俳句
芭蕉全句(上)
青ざしや草餅の穂に出でつらん
秋風や藪も畠も不破の関
曙や白魚白きこと一寸
あち東風や面々さばき柳髪
雨の日や世間の秋を堺町
霰聞くやこの身はもとの古柏
石枯れて水しぼめるや冬もなし
芋の葉や月待つ里の焼畠(やけばたけ)
色付(いろづけ)や豆腐に落ちて薄紅葉
うかれける人や初瀬の山桜
宇知山(うちやま)や外様知らずの花盛り
近江蚊屋汗やさざ波夜の床
大比叡(おおひえ)やしの字を引いて一霞
小野炭(おのずみ)や手習ふ人の灰せせり
思ひ出す木曽や四月の桜狩
笠寺や漏(も)らぬ窟(いわや)も春の雨
風吹けばお細うなるや犬桜
門松や思へば一夜(いちや)三十年
刈りかけし田面(たづら)の鶴や里の秋
枯枝に烏のとまりたるや秋の暮
元日や思へば寂し秋の暮
桑の実や花なき蝶の世捨酒
木枯や竹に隠れてしづまりぬ
盃や山路の菊と是を干す
五月雨や桶の輪きるる夜の声
五月雨や竜燈揚ぐる番太郎
時雨をやもどかしがりて松の雪
賤(しず)の子や稲擦りかけて月を見る
しばし間もまつやほととぎす千年
白芥子や時雨の花の咲きつらん
白炭や彼の浦島が老いの箱
笋(たこうな)や滴もよよの篠の露
七夕の逢わぬ心や雨中天
旅寝して見しや浮世の煤払ひ
旅寝して我が句を知れや秋の風
蝶鳥のうはつきたつや花の雲
月の鏡小春に見るや目正月
摘みけんや茶を凩の秋とも知らで
天秤や京江戸かけて千代の春
唐黍や軒端の荻の取り違へ
詠(なが)むるや江戸にはまれな山の月
夏木立佩(は)くや深山の腰ふさげ
寝たる萩や容顔無礼花の顔
萩原(はぎはら)や一夜(ひとよ)はやどせ山の犬
初雪や幸ひ庵(あん)にまかりある
初雪や水仙の葉のたわむまで
原中や物にもつかず鳴く雲雀
針立(はりたて)や肩に槌うつ唐衣
春立つとわらはも知るや飾り縄
春立つや新年古き米五升
春なれや名もなき山の薄霞
ひれふりてめじかもよるや男鹿島
琵琶行の夜や三味線の音霰
富士の風や扇に載せて江戸土産
冬知らぬ宿や籾摺る音霰
冬の日や馬上に氷る影法師
古池や蛙飛び込む水の音
降る音や耳も酸うなる梅の雨
旧里や臍(へそ)の緒(お)に泣く年の暮
古畑や薺(なずな)摘み行く男ども
先づ知るや宜竹(ぎちく)が竹に花の雪
町医師や屋敷方より駒迎へ
待つ華や藤三郎が吉野山
三日月や朝顔の夕べつぼむらん
水取や氷の僧の沓(くつ)の音
見る影やまだ片なりも宵月夜(よいづくよ)
麦生えてよき隠れ家や畠村
松島の月の若生えや松島種(だね)
武蔵野や一寸ほどな鹿の声
名月や池をめぐりて夜もすがら
女夫鹿(めおとじか)や毛と毛が揃うてけむつかし
目の星や花をねがひの糸桜
餅花(もちばな)やかざしにさせる嫁が君
藻にすだく白魚やとらば消ぬべき
行く雲や犬の駆尿(かけばり)むら時雨
蘭の香や蝶の翅(つばさ)に薫物(たきもの)す
竜宮も今日の潮路や土用干
綿弓(わたゆみ)や琵琶に慰む竹の奥
芭蕉全句(中)
曙や霧に渦巻く鐘の音
あさむづや月見の旅の明けばなれ
荒海や佐渡に横たふ天の河
有難や雪をかをらす南谷
石の香や夏草赤く露暑し
埋火(うずみび)や壁には客の影法師
海に降る雨や恋しき浮身宿<無季>
幼な名や知らぬ翁(おきな)の丸頭巾
落ちくるや高久(たかく)の宿(しゅく)の郭公(ほととぎす)
俤(おもかげ)や姨(うば)ひとり泣く月の友
おもしろや今年の春も旅の空
隠れ家や月と菊とに田三反
桟(かけはし)や命をからむ蔦かづら
桟(かけはし)や先づ思ひ出づ駒迎へ
陽炎(かげろう)や柴胡(さいこ)の糸の薄曇
被(かず)き伏す布団や寒き夜やすごき
神垣やおもひもかけず涅槃像
刈跡(かりあと)や早稲(わせ)かたがたの鴫(しぎ)の声
川風や薄柿(うすがき)着たる夕涼み
象潟(きさがた)や雨に西施(せいし)が合歓(ねぶ)の花
京にても京なつかしやほととぎす
草臥(くたび)れて宿借る比(ころ)や藤の花
熊坂がゆかりやいつの魂祭
紅梅や見ぬ恋作る玉すだれ
木枯らしや頬腫(ほほばれ)痛む人の顔
小鯛さす柳涼しや海士(あま)が家
桜狩り奇特(きどく)や日々に五里六里
早苗とる手もとや昔しのぶ摺り
寂しさや須磨に勝ちたる浜の秋
さびしさや華のあたりの翌檜(あすなろう)
汐越や鶴脛(はぎ)濡れて海涼し
しをらしき名や小松吹く萩薄
しぐるるや田の新株(あらかぶ)の黒む程
しぐれ行くや船の舳綱(へづな)にとり付きて
閑(しず)かさや岩にしみ入る蝉の声
しばらくは瀧に籠るや夏(げ)の初(はじめ)
島々や千々に砕けて夏の海
白髪抜く枕の下やきりぎりす
城跡や古井の清水先づ問わん
涼しさやほの三日月の羽黒山
須磨寺や吹かぬ笛聞く木下闇(こしたやみ)
須磨の浦の年取物や柴一把
其の魂や羽黒にかへす法(のり)の月
茸狩(たけがり)やあぶないことに夕時雨
蛸壺やはかなき夢を夏の月
橘やいつの野中の郭公(ほととぎす)
種芋や花の盛りを売り歩く
楽しさや青田に涼む水の音
月影や四門四宗も只一つ
月代(つきしろ)や膝に手を置く宵の宿
月に名を包みかねてや疱瘡(いも)の神
月見ても物足らはずや須磨の夏
鶴鳴くや其の声に芭蕉破(や)れぬべし
蜻蜒(とんぼう)やとりつきかねし草の上
中山や越路も月はまた命
夏草や兵どもが夢の跡
浪の間や小貝にまじる萩の塵
似合はし(につかわし)や豆の粉飯(こめし)に桜狩
ぬれて行くや人もをかしき雨の萩
蓮池や折らでそのまま魂祭
畑打つ音や嵐の桜麻
初秋や海も青田の一みどり
初霜や菊冷え初むる腰の綿
初雪やいつ大仏の柱立(はしらだて)
初雪や聖小僧の笈の色
葉にそむく椿や花のよそ心
花を宿に始め終りや二十日ほど花のよそ心
花にあかぬ嘆きや我が歌袋
春の夜や籠り人(ど)ゆかし堂の隅
日の道や葵傾く五月雨
雲雀なく中の拍子や雉の声
ひょろひょろと尚露けしや女郎花
ひらひらとあぐる扇や雲の峰
日は花に暮れてさびしや翌檜
風流の初(はじめ)や奥の田植唄
文月や六日も常の夜には似ず
冬庭や月もいとなる虫の吟
蛍見や船頭酔うておぼつかな
見送りのうしろや寂し秋の風
名月や海に迎へば七小町
明月や座に美しき顔もなし
名月や児たち並ぶ堂の縁
名月や北国日和(ほっこくびより)定めなき
めづらしや山を出羽(いでは)の初茄子
物好きや匂はぬ草にとまる蝶
山陰や身を養はん瓜畠
山中や菊は手折らぬ湯の匂
夕顔に見とるるや身もうかりひょん
夕顔や秋はいろいろの瓢(ふくべ)かな
夕晴や桜に涼む波の花
雪散るや穗屋の薄の刈り残し
行く秋や身に引きまとふ三布蒲団(みのぶとん)
行く春や鳥啼き魚の目は泪(なみだ)
よき家や雀よろこぶ背戸(せど)の粟(あわ)
世の夏や湖水に浮かむ浪の上
世の人の見付けぬ花や軒の栗
竜門の花や上戸(じょうご)の土産(つと)にせん
芭蕉全句(下)
秋風や桐に動いて蔦の霜
蕣(あさがお)やこれもまた我が友ならず
蕣(あさがお)や昼は鎖(じょう)おろす門の垣
紫陽花や帷子時の薄浅黄
紫陽花や藪を小庭の別座敷
十六夜や海老煎(に)るほどの宵の闇
稲妻や顔のところが薄の穂
稲妻や闇の方(かた)行く五位の声
猪の床にも入るやきりぎりす
うきふしや竹の子となる人の果
鶯や筍藪に老いを鳴く
鶯や餅に糞する縁の先
鶯や柳の後藪の前
梅が香やしらら落窪京太郎
梅が香や見ぬ世の人に御意を得(う)る
瓜の皮むいたところや蓮台野(れんだいの)
榎(え)の実散る椋鳥(むく)の羽音や朝嵐
荻の穂や頭(かしら)をつかむ羅生門
衰ひや歯に喰ひあてし海苔の砂
御命講(おめいこう)や油のやうな酒五升
おもしろき秋の朝寝や亭主ぶり
影待や菊の香のする豆腐串(ぐし)
風色(かざいろ)やしどろに植ゑし庭の秋
鴈(かり)さわぐ鳥羽の田面(たづら)や寒の雨
借りて寝む案山子(かがし)の袖(そで)や夜半の霜
寒菊や醴(あまざけ)つくる窓の前(さき)
寒菊や粉糠(こぬか)のかかる臼の端
灌仏や皺手合はする数珠の音
菊の香や奈良には古き仏達
菊の香や奈良は幾代(いくよ)の男ぶり
菊の香や庭に切れたる履(くつ)の底
菊の花咲くや石屋の石の間(あい)
京にあきて此の木枯らしや冬すまひ
清滝や波に散り込む青松葉
草の戸や日暮れてくれし菊の酒
鞍壺に小坊主乗るや大根引
鶏頭や雁の来る時尚あかし
琴箱や古物店(ふるものだな)の背戸(せど)の菊
此の道や行く人なしに秋の暮
さざ波や風の薫の相拍子
淋しさや釘にかけたるきりぎりす
さみだれや蚕煩(わずら)ふ桑の畑
五月雨や色紙へぎたる壁の跡
寒からぬ露や牡丹の花の蜜
柴付けし馬の戻りや田植樽
柴の戸の月やそのまま阿弥陀坊
白魚や黒き目を明く法(のり)の網
水仙や白き障子のとも映り
涼しさや直(す)ぐに野松(のまつ)の枝の形
住みつかぬ旅の心や置火燵(おきごたつ)
駿河路や花橘も茶の匂ひ
芹焼やすそわの田井の初氷
竹の子や稚(おさな)き時の絵のすさび
七夕や秋を定む夜のはじめ
散る花や鳥も驚く琴の塵
月澄むや狐こはがる児(ちご)の供
月待や梅かたげ行く小山伏
鶴の毛の黒き衣や花の雲
冬瓜やたがひに変る顔の形
尊がる涙や染めて散る紅葉
貴(とうと)さや雪降らぬ日も蓑と笠
年々(としどし)や桜をこやす花の塵
年々(としどし)や猿に着せたる猿の面
夏の夜や崩れて明けし冷し物
夏の夜や木魂(こたま)に明くる下駄の音
撫子にかかる涙や楠の露
七株の萩の千本(ちもと)や星の秋
難波津や田螺の蓋も冬籠り
蓮の香を目にかよはすや面(めん)の鼻
初秋や畳みながらの蚊屋の夜着(よぎ)
初茸(はつたけ)やまだ日数経ぬ秋の露
初雪やかけかかりたる橋の上
春雨や蜂の巣つたふ屋根の漏り
春雨や二葉に萌ゆる茄子種(なすびだね)
春雨や蓑吹きかへす川柳
春雨や蓬をのばす草の道
一声の江に横たふやほととぎす
人声や此の道帰る秋の暮
人も見ぬ春や鏡の浦の梅
日にかかる雲やしばしの渡り鳥
不精さやかき起されし春の雨
郭公声横たふや水の上
杜鵑(ほととぎす)鳴く音(ね)や古き硯箱
ほととぎす啼くや五尺の菖草(あやめぐさ)
松風や軒をめぐって秋暮れぬ
松茸やかぶれたほどは松の形
松茸や知らぬ木の葉のへばりつく
三日月や地は朧なる蕎麦畑
湖や暑さを惜しむ雲の峰
水無月や鯛はあれども塩鯨
麦の穂や泪に染めて泣く雲雀
武蔵野やさはるものなき君が笠
名月に麓の霧や田の曇り
名月の夜や重々と茶臼山
名月や門に指し来る潮頭
飯あふぐ嚊(かか)が馳走やや夕涼み
目にかかる時やことさら五月富士
物ほしや袋の中の月と花
山吹や宇治の焙炉(ほいろ)の匂ふ時
山吹や笠にさすべき枝の形(な)り
闇の夜や巣をまどはして鳴く衛(ちどり)
夕顔や酔うて顔出す窓の穴
行く秋のなほ頼もしや青蜜柑
行く秋や手をひろげたる栗の毬(いが)
柚(ゆ)の花や昔しのばん料理の間
夜すがらや竹凍らする今朝の霜
両の手に桃と桜や草の餅
六月(ろくがつ)や峰に雲置く嵐山
炉開(ろびらき)や左官老い行く鬢(びん)の霜