2.切れ字「かな」

切れ字「かな」を使った芭蕉の俳句

芭蕉全句(上)

     朝顔に我は飯食ふかな

     油氷りともし火細き寝覚かな

     霰まじる帷子雪は小紋かな

     稲妻を手にとる闇の紙燭(しそく)かな

     命二つの中に生きたるかな

     馬をさへながむる雪のかな

     梅恋ひて卯の花拝むかな

     梅柳さぞ若衆かなかな

     香を探る梅に蔵見る軒端かな

     樫の木の花にかまはぬ姿かな

     歩行(かち)ならば杖突坂を落馬かな<無季>

     瓶(かめ)割るる夜の氷の寝覚かな

     狂句木枯の身は竹斎に似たるかな

     今日の今宵寝る時もなきに月見かな

     京は九万九千群集(くまんくせんぐんじゅ)の花見かな

     草も木も離れきつたる雲雀かな

     薬飲むさらでも霜のかな

     愚に暗く棘(いばら)をつかむかな

     愚に暗く棘(いばら)をつかむかな

     雲をりをり人を休める月見かな

     暮れ暮れて餅を木魂(こだま)の侘寝かな

     今朝の雪根深を園の枝折かな

     鸛(こう)の巣に嵐の外のかな

     鸛(こう)の巣も見らるる花のの葉越かな

     ごを焼(た)いて手拭いあぶる寒さかな

     苔埋む蔦のうつつの念仏(ねぶつ)かな

     このほどを花に礼いふ別れかな

     盃に三つの名を飲むこよひかな

     さざれ蟹足はひのぼる清水かな

     座頭かと人に見られて月見かな

     柴の戸に茶を木の葉掻くあらしかな

     霜を着て風を敷寝の捨子かな

     霜枯に咲くは辛気の花野かな

     初春(しょしゅん)先づ酒に梅売るにほひかな

     城罌粟(しろげし)に羽もぐ蝶の形見かな

     地に倒れ根により花の別れかな

     蝶の飛ぶばかり野中の日影かな

     月白き師走は子路が寝覚かな

     蔦植えて竹四五本のあらしかな

     露凍てて筆に汲み干す清水かな

     寺に寝てまこと顔なる月見かな

     永き日も囀り足らぬ雲雀かな

     何事も招き果てたるかな

     菜畑に花見顔なるかな

     野ざらしを心に風の泌むかな

     芭蕉植ゑてまづ憎む荻の二葉かな

     芭蕉野分して盥に雨を聞くかな

     花咲いて七日鶴見るかな

     花木槿(むくげ)裸童(わらわ)のかざしかな

     文ならぬいろはもかきて火中かな

     古巣ただあはれなるべきかな

     牡丹蘂深く分け出づる蜂の名残かな

     時鳥(ほととぎす)今は俳諧師なきかな

     水寒く寝入りかねたる鷗(かもめ)かな

     無常かな紙燭の烟(けぶり)破れ蚊屋

芭蕉全句(中)

     朝顔は酒盛知らぬ盛りかな

     足洗つい明易き丸根かな

     あの雲は稲妻を待つたよりかな

     海士の屋は小海老にまじるいとどかな

     鮎の子の白魚送る別れかな

     十六夜もまだ更科のかな

     五つ六つ茶の子にならぶ囲炉裏かな

     凍解けて筆に汲み干す清水かな

     糸遊に結びつきたるかな

     猪もともに吹かるる野分かな

     芋飢ゑて門(かど)は葎(むぐら)の若葉かな

     入りかかる日も糸遊の名残かな

     鶯の笠落したる椿かな

     湖は晴れて比叡降り残す五月かな

     裏見せて涼しき滝のかな

     枝ぶりの日ごとにかはる芙蓉かな

     おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな

     香を残す蘭帳蘭のやどりかな

     杜若語るも旅のひとつかな

     陽炎の我が肩に立つ紙子かな

     語られぬ湯殿にぬらすかな

     鐘消えて花の香は撞くかな

     灌佛の日に生れあふ鹿の子かな

     菊の露落ちて拾へば零余子(ぬかご=むかご)かな

     木曽の橡(とち)浮世の人のみやげかな

     来てみれば獅子に牡丹の住まひかな

     きりぎりす忘れ音に鳴く火燵(こたつ)かな

     草いろいろおのおの花の手柄かな

     草の葉を落つるより飛ぶかな

     声澄みて北斗にひびくかな

     胡蝶にもならで秋ふる菜虫かな

     木のもとに汁も鱠もかな

     里人は稲に歌よむかな

     早苗にも我が色黒き日数かな

     さまざまの事思ひ出すかな

     五月雨は滝降り埋む水嵩(みかさ)かな

     鹿の角先づ一節の別れかな

     しばらくは花の上なる月夜かな

     霜の後撫子咲ける火桶かな

     節季候(せきぞろ)の来れば風雅も師走かな

     田一枚植ゑて立ち去るかな

     魂祭りけふも焼場のかな

     月か花か問へど四睡のかな

     月もなくて酒飲むひとりかな

     蔦の葉は昔めきたる紅葉かな

     手鼻かむ音さへ梅の盛りかな

     夏来てもただ一つ葉の一葉(ひとは)かな

     夏山に足駄を拝む首途(かどで)かな

     何の木の花とは知らず匂ひかな

     裸にはまだ衣更着(きさらぎ)のかな

     鳩の声身に入みわたる岩戸かな

     花あやめ一夜に枯れし求馬(もとめ)かな

     花と実と一度に瓜の盛りかな

     花の蔭謡に似たる旅寝かな

     春雨の木下につたふ清水かな

     春立ちてまだ九日の野山かな

     雲雀より空にやすらふかな

     病鴈(びょうがん:やむかり)の夜寒に落ちて旅ねかな

     春立ちてまだ九日の野山かな

     鼓子花(ひるがお)の短夜眠る昼間かな

     吹き飛ばす石は浅間の野分かな

     吹く風の中を魚飛ぶ御祓(みそぎ)かな

     蛍火の昼は消えつつかな

     秣負ふ人を枝折の夏野かな

     水の奥氷室尋ぬるかな

     掬(むす)ぶよりはや歯にひびくかな

     目に残る吉野を瀬田のかな

     物の名を先づ問ふ蘆の若葉かな

芭蕉全句(下)

     青柳の泥にしだるる潮干かな

     秋の夜を打ち崩したるかな

     雨折々思ふ事なき早苗かな

     生きながら一つに氷る海鼠かな

     十六夜はわづかに闇のかな

     石山の石にたばしるかな

     入る月のあとは机の四隅かな

     牛部屋に蚊の声くらき残暑かな

     梅が香に追いもどさるる寒さかな

     梅が香にのつと日の出る山路かな

     折ふしは酢になる菊のさかなかな

     傘(からかさ)に押し分け見たるかな

     菊の香にくらがり登節句かな

     霧雨の空を不要の天気かな

     木枯に岩吹きとがる杉間かな

     九たび起きても月の七つかな

     此の寺は庭一杯の芭蕉かな

     此の宿は水鶏(くいな)も知らぬ扉(とぼそ)かな

     蒟蒻に今日は売り勝つ若菜かな

     さい角子(さいかし)の実はそのままの落葉かな

     篠(ささ)の露袴(はかま)にかけし茂りかな

     猿引きは猿の小袖をかな

     三尺の山も嵐の木(こ)の葉かな

     白露(しらつゆ)もこぼさぬ萩のうねりかな

     新藁(しんわら)の出初(でそ)めて早き時雨かな

     涼しさを飛騨の工(たくみ)が指図かな

     涼しさの指図に見ゆる住まひかな

     煤掃(すすはき)は己が棚吊る大工かな

     煤掃(すすはき)は杉の木の間のかな

     節季候(せきぞろ)を雀の笑ふ出立(でたち)かな

     せつかれて年忘れする機嫌かな

     雑炊に琵琶聴く軒のかな

     蕎麦はまだ花でもてなす山路かな

     簟(たかむしろ)鱠(なます)食うたる坊主かな

     撓(たわ)みては雪待つ竹のけしきかな

     蝶も来て酢を吸ふ菊の酢和えかな

     作りなす庭をいさむるしぐれかな

     なかなかに心をかしき臘月(しわす)かな

     夏かけて名月暑き涼みかな

     撫子の暑さ忘るる野菊かな

     入麺(にうめん)の下焚き立つる夜寒かな

     庭掃きて雪を忘るる箒(ははき)かな

     葱(ねぶか)白く洗ひたてたる寒さかな

     萩の露米搗(つ)く宿のかな

     橋桁のしのぶは月の名残かな

     八九間(けん)空で雨降るかな

     初午に狐の剃りしかな

     初時雨初の字を我が時雨かな

     腫物に柳のさはるしなへかな

     日ごろ憎き烏も雪のかな

     一露もこぼさぬ菊のかな

     一年(ひととせ)に一度摘まるる薺(なずな)かな

     ひやひやと壁をふまへて昼寝かな

     古川に媚びてめを張るかな

     鬼灯(ほほずき)は実も葉も殻も紅葉かな

     前髪もまだ若草の匂ひかな

     升買う分別かはる月見かな

     みな出でて橋をいただく霜路かな

     水無月は腹病病みの暑さかな

     都出でて神も旅寝の日数かな

     麦の穂をたよりにつかむ別れかな