有季定型と自由律俳句

有季定型というのは、「俳句には五・七・五の音節(仮名文字数)で、合計17音節(仮名文字数)の形式があり、必ずひとつの季語を含まなければならない。」という規則に従って作られた俳句のことです。これらの制約にとらわれない俳句として自由律俳句があります。
自由律俳句について、Wikipediaを要約すると下記の通りです。

   「季語にも縛られず、心の動きをそのまま自由に、かつ自然に表現するとする主張もあるが、
  通常は一句一律、内容に即した律を持つという主張である。これを内在律ともいう。
  文語や「?たり」「?けり」「?かな」などの古典的な言葉遣いを避け、現代口語で表現する
  ということも特徴の一つ」ということです。
  主な俳人は、「河東碧梧桐、荻原井泉水、尾崎放哉、種田山頭火、中塚一碧楼」などであるが、
  自由律俳句は放哉、山頭火の活躍した1920年代以降衰退している。
  1970年代あたりから、山頭火がクローズアップされ自由律俳句の再評価がなされている。
  1980年代に、放哉に影響を受けた夭折の俳人住宅顕信が登場した。

 

戦後、昭和・平成時代の俳句の主流は、有季定型です。芭蕉・蕪村・一茶などの歴史的文化遺産としての発句の大半は有季定型です。発句に季節の言葉を入れることこれは、俳諧連歌の規則でしたから、有季は当然のことです。
ホトトギス派の発展に寄与した高浜虚子も、そこから離脱した水原秋桜子、あるいは戦後「春燈」で活躍した久保田万太郎も有季定型俳句の実践者でした。

高浜虚子は、俳句について下記のように言っています(「虚子俳句問答(1.理論編)」)

   「俳句は十七字の詩でありまして、季題というものに重きを置きます。
   季題というものは、春夏秋冬の移り変わりによって起ってくる天然界人事界の種々の現象を
   いうのでありまして、歳時記という書物に詳しく載っております。」

水原秋桜子は、俳句について下記のように言っています(「俳句観賞辞典」)

  伝統俳句には、2つの大切な約束がありまして、両方ともしっかり守っておりませんと、
  それは俳句たる資格がないことになります。
  その約束の第一は、一句の中に必ず季語(きご)が含まれていなければならぬということ、
  第二は、使用音数が十七音で、しかも五音、七音、五音という三節から成り立っている
  ということであります。