客観写生(叙景詩)

松尾芭蕉の言葉(石寒太著「芭蕉の言葉に学ぶ 俳句のつくり方」)

  「見るにつけ、聞くにつけ、作者の感じるままを句に作るところは、
  すなわち俳諧の誠である」
(芭蕉の門人・服部土芳「三冊子」)
     俳諧の誠というのは私意や虚偽を排し、対象をよく観察し、傾聴して、そのありさまを
     十七文字で表現することに全力を傾けるという意味である。

  「松の事は松に習え、竹の事は竹に習えと師の詞のありしも、
  私意をはなれよということ也。」
(服部土芳著「赤冊子」)
     「松の事は松に習え、竹の事は竹に習え」とおっしゃったのも、
     「対象に対する先入観(我執)のすべてを捨てて、ひたすら物に従いなさい」
     ということをいわれたのです。

正岡子規の客観写生(明治期)

  「俳句をものするには、空想によると写実によるとの2種あり。
  写実の目的をもって天然の風光を探ること最も俳句に適せり。」
  子規は、蕪村の積極・雄壮・明快な面に惹かれた。
  それは、客観美、絵画美であった。
  子規の「写生」は、中村 不折の西洋画論に負い、
  それが蕪村の客観美、絵画美と共鳴したのである。

高浜 虚子の高木 素十を称賛する言葉の中に「写生」の概念が語られている

  「厳密なる意味における写生という言葉は、素十君のごときに当て嵌まるべきものと思う。
  素十君は、心を空しくして自然に対する。自然もなんの装いもしないで素十君の前に現れる。
  自然は雑駁であるが、素十君の透明な頭は、その雑駁な自然の中からある景色を
  引き抽(ぬ)き来たってそこに一片の天地を構成する。それが非常に敏感であって
  かくて出来上がった句は、空想画、理想画というような趣はなく、いずれも現実の世界に
  存在している景色であるということを強く認めしむる力がある。すなわち真実性が強い。」
                (「秋桜子と素十」昭和3年ホトトギス)

主観は貴といが客観の修行が第一(高浜虚子著「俳談」)
  私ははじめの頃は主観の傾向が多くって、客観の叙述には不得手であった。
  客観句を作ることは、碧梧桐の方旨かった。(中略)
  主観がなければ文学はない。しかしその主観を最もよく運ぶものは客観の具象である。
  客観の描写のまずい、主観の暴露しているものは、文芸として価値がない。
  そういう信念に立っている。

荻原井政泉水の客観写生批判

  五月雨を集めてすずし最上川
  五月雨を集めて早し最上川
  (「すずし」よりも、「早し」がすぐれている。)
  最上川のふちに立って腕組みをしていたのでは、百年たっていても、この「早し」は出て来ないの
  であります。その舟に乗って、「水みなぎりて舟あやふし」という命がけの体験をしてこそ初めて
  「集めて早し」という言葉が探り得られたのです。

  子規の流れをつぐものは、客観主義、写生主義という事を標榜して、これが今日の俳句界の
  本流であるかのように一般から考えられて居ります。なるほど、自然をあるがままに写す
  という事、そのことが悪い訳ではありません。これはいつまでも変わることのない本格的
  なる手法でありましょう。しかし、その写生が作者の目を通して見ただけのものであって、作者の
  たましいを通して来たものでなければ、または、作者の「身」、からだを通して来たものでなけれ
  ば、それは客観主義というよりむしろ傍観主義であります。写生主義というよりも写真主義であり
  ます。今日世間にある句は大抵この傍観主義であります。腕組み主義であります。腕組みをして
  いて本当の句の出来る訳はありません。またカメラをもって、レンズにうつるものをパチリパチリと
  シャッタアを切っただけで出来たような写真主義の句に、魂のこもった句の出来る訳はないので
  あります。
  「句と身と一枚になりて案ずべし」という芭蕉の言葉は今日にあって、新しく味わいかえさねばならない
  ものであります。(荻原井泉水「芭蕉鑑賞」)

水原 秋桜子は、高浜虚子の「客観写生」に異を唱え、主観の大切さを表明

  「我らの信じる写生俳句の究極は一にして二はない。しかしながらその究極に達せんとして
  作者が取るべき態度は大別して二つあるということができると思う。
  その一は自己の心を無にして、自然に忠実ならんとする態度、
  その二は自然を尊びつつもなお自然の心に愛着を持つ態度である。
  第二の態度を持して進むものは、まず自然を忠実にに観察する。
  しかして句の表には自然のみを描きつつ、尚は心をその裏に出さんとする。
  勢い調べを大切にするようになるのである。」 (句集「葛飾」序)と主観の大切さを表明した。