芭蕉の心

「予が風雅は夏炉冬扇のごとし。衆にさかひて用(もちい)る所なし」(「柴門の辞」)
    私の俳諧は、「夏炉冬扇」のように、世に何の役にもたたないものです。
    世の人に逆らった、無用の用というものでしょう。
    解説:当時の点取り俳諧の流行という大衆の好みに逆らって、芭蕉は自分の俳諧観
        を高らかに示しているのです。芭蕉は、点取り宗匠としての地位をみずから捨て     
        て、深川の辺鄙な地に移り住み、生活理念としての「わび」を求めました。
    点取り俳諧:点者に句の採点を請い、点の多いのを楽しむ俳諧。純粋文芸の俳諧に
            対して遊びの俳諧
    点取り宗匠:お金をとって句を添削するという指導者

「胸中一物なきを貴しとし、無能無知を至れりとす。無住無庵、又其の次也」
                                    
(「移芭蕉詞」)
    胸の中にひとつのこだわりもないことを喜び、無能無知であることを最上とします。
    住むところも草庵もない状態がその次に望ましいのです。
    解説:芭蕉の俳論は、「無用の用」(「荘子」)の思想を背景にした箇所が多く、
        「老荘思想」を自分の思想の中心として取りこんでいます。

                     (石寒太「芭蕉の言葉に学ぶ 俳句のつくり方」)

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「俳諧はよく万物に応ずることをむねとすべし」(芭蕉)

    日が照るところ、雨が降るところ、また、花が咲けば花に、鳥が鳴けば鳥に、
    その所に応じて俳諧というものがある。はなはだ自然であります。かくべつそれを
    するものがえらいという訳のものではないのです。

「句と身と一枚に成って案ずべし」(芭蕉)

    句を思うときは、それと自分が一枚のものにならなくてはいけない。
    自分の他に自分の句はないわけであります。そこで、句というものは自分の生活と
    離れぬものとなります。

「俳諧は万葉集の心なり、唐明すべて中華の豪傑にも愧(は)づる事なし。」(芭蕉)

    芭蕉は楽天や杜甫を崇拝していたのでありますが、詩としては自分の句も
    決して楽天や杜甫に劣るものではないと自信は持っていた。    

                     (荻原政泉水「芭蕉鑑賞」より引用)